お久しぶりです。
今日は100日間生きたワニの感想を書こうと思います。
事前情報無しの感想です!と前置きすると胡散臭いのでそういうの無しで感想を書きます。
■前提
「100日間生きたワニ」はきくちゆうき先生がTwitterで展開した全100回の4コマ漫画「100日後に死ぬワニ」原作です。
名前の通り第100回でワニが死ぬのですが、連載中は独特のテンポと作風、人間臭い動物達、「ワニがどうやって死ぬか」という考察がバズ要素となっていました、と僕は思います。
(なんやかんや炎上してましたが、まあそこは置いておいて)
映画ですが、原作ありの前半パートとオリジナルエピソードの後半パートに分かれています。
■良い点
・ほぼ完璧な原作再現
前半パートでは原作を完璧に再現していました。エピソードはそのままで、物語の根幹に関わるエピソードか抽出して構成されています。
本当に構成以外は原作再現なので、100ワニをリアルタイムで見ていて、そこに変化を求めてる人にとってはかなり眠くなる展開かもしれません。
・“間”の取り方
映画ではワニ達の言動の間にほんのちょっと間が取られています。その間を詰めてもっと圧縮できるんじゃないの、と初めは思っていました。
物語が進むにつれて、原作をリアルタイムで追っていた時のことを思い出しました。
目前の死を知らないからこそ生じる、なんとも呑気で無意義な行動にもどかしさを感じていたことを。
思い出してからこの“間”にも合点がいきました。
私が抱いた「圧縮」という考えは、作中人物にとっては「行動を詰め込ませる」こと、言い換えれば「生き急かせる」こと当たり、この考えは連載時に感じていた「もどかしさ」と似ている。
コイツもうすぐ死ぬのに呑気やな、とか。
もうすぐ死ぬんだからもう少し有意義なことやりなよ、とか。
毎日展開される原作に纏わりついてた「死を目前にした呑気さ」に抱いたもどかしさが、映画では“間”として表現されていたのではないかな、と思いました。
・ヒヨコのCVが伊藤未来
エンドロールで初めて知って思わず笑ってしまいました。
・この映画上映後にカップルが誕生した
気になる異性がいる方はこの映画を一緒に観に行くと告白成功率がアップするかもしれませんね!
以下、悪い点なのでこの作品が好きな方は読まない方がいいと思いまーす。
■悪い点
・絶望的に映像化が不向きな原作を完璧に再現している前半パート
原作が「100日後に死ぬことを把握していないワニがただただ普通の日常を送る」という作品だから、物語全体を通して見た時に起承転結の起と結しか存在していません。1日(1投稿)毎の繋がりが殆ど存在していないんです。まんがタイムきららより繋がりが無いです。
そして1日毎の4コマにも起承転結が存在していない。まあ、ただただ日常を描いてるだけなんだから当たり前なんですけど。
かなり口の悪い表現をすると「100日後に死ぬワニ」は、てんでバラバラのオチ無し4コマ漫画を「100日後に死ぬ」という単語帳のリングで繋げた作品なんです。
そんな作品が30分の前半パートに原作そのままに展開されている。必死こいて構成を纏めた痕跡は見えるんです。でも原作が原作だからテーマも思想も無い赤の他人がただただ日常を過ごしてるだけの内容になってるんですよ。
要は「知らねー奴のホームビデオ」の2回目を視聴させられている状態です。そんなのたとえ1回目でも面白いわけがないじゃないですか。多分原作読んでない人が見てもつまらないと思いますよ。
さらに悪いのはこの原作が「Twitter発祥」と言うところです。
前半を見ていて思ったのですが、作中内で何か起きるたびに「ツイートしたいな」って感じました。
この原作は展開一つ一つを不特定多数が実況していったことから人気が出始めているんですよ。
つまり何が言いたいかというと、この作品は「Twitterでの実況」含めて面白いのであり、実況が許されない劇場での放映は相性最悪で作品の面白さを半減させているのです。
多分ですけど、映画化でなくテレビアニメ化ならそこそこ人気出たと思いますよ。5分アニメとして、前半6話で原作終わらせて後半6話でオリジナル展開とかどうですか?
・後半パート全部
後半パートではワニの死後、「カエル」なるオリジナルキャラクターが登場し、カエルを中心に物語が進行します。
ワニの死を受け入れることのできない友人達が徐々に死に向き合い、前に進んでいく。そんなストーリーですかね。
このカエルは作品内で後ろ姿の意味深なアップが描写されていたことから、ワニの死を受け入れられない友人達が亡きワニの面影を重ねていたんだと思います。実際、目の飛び出した後ろ姿のシルエットとか似ていましたし。
外見はワニに似ているカエルですが、その性格や行動は逆に描かれています。
カエルは表に貼ってあったバイト募集のチラシを見てリサイクル店にバイトを申し込んで不採用となり、その後カフェで働きます(ワニはカフェを辞めた後モグラに誘われてリサイクル店で働く)
カエルはネズミが仕事と言っているのに執拗に遊びに誘います(ワニはネズミが仕事の時には潔く諦めていた)
カエルはカフェバイトのトカゲもどきに猛アタックしてフラれます(ワニは恋愛に奥手で長い期間かけてようやく先輩といい感じになる)
この時のカエルが非常に不愉快に描かれていました。
リサイクル店にバイトの応募をした時も。
ネズミにタメ口使い始めた時も。
カフェのバイトに猛アタックしている時も。
他人との距離感が全く掴めていないんですよ。陰キャが考える陽キャの間違ったイメージというか、とりあえず明るく行っておけば余裕っしょ、みたいな。大学生がよくやってる間違った「面白い人」みたいな。
描写的にも登場人物はカエルのことを「不愉快な奴」として捉えていると思います。
ワニの死を受け入れていない友人達は、そんな不愉快なカエルに対してどんどん余所余所しい態度取るんです。
周りの態度にカエルも気付いてネズミに「オレ、なんか間違ってます?」ってポロって漏らしちゃうんですよ。
バイトにフラれた後、ネズミの店に修理に出していたバイクを取りに行った際に友人達の余所余所しい態度に泣くんですよ。
そんな弱ったカエルを見たネズミはツーリングに誘い、その先でワニの死を受け入れたネズミが友人達とカエルを誘って遊びます。
物語はこんな感じでした。
何これ。出来の悪いスカッとジャパン?
ただただ不愉快な人物が余所余所しい態度取られてるシーンで視聴者に何を伝えたいの?
なんでここまで不愉快なオリジナルキャラクターを出せるんだよ。お前もしかして「みなみけ おかわり」の監督やってたりする?あの作品に冬木出そうって言ったのお前か?
確かに、主人公の死が前半に描かれていたとしたら、後半は愉快な仲間達の立ち直りが描かれるのが鉄板だと思います。でもこの展開って作品の余韻を良くするためのものだと思うんですよ。死という重く暗い話題から視聴者の心を逸らす、あるいは受け入れさせるためのものだと思うんですよ。もしこの展開で不愉快な奴が出てくるとしたらそれは敵サイドなんですよ。
だからあまりにも不愉快なカエルが出てきた時僕はふと思ったんですよ。「コイツもしかしてネズミに殺されるのか?」と。
だって明らかに敵みたいな描かれ方してましたもの。
だからカエル殺してネズミも罪悪感で自殺するエンドなのかなって。大穴でモグラが殺すのかな(モグラだけに笑)って。まさかの鬱展開を提示する賭けに出たのかなって。
でも実際違って、最後にはみんなで仲良く遊んでいる。
この結末おかしいと思いません?仲良くできる要素がないんですよ。多分このカエルの不愉快な言動って変わってないし、これからも変わらないんですよ。相手の事情無視して「どーも!どーもどーも!」って突っ込んでくるんですよ。
もし仮に、カエルと友人達が仲良くなれた理由が「友人達がワニの死から立ち直れたから」なら、カエルが余所余所しい態度を取られてた理由が「後ろ姿がワニに似ているのに性格は違う。加えて不愉快だ」から「後ろ姿がワニに似ているのに性格は違う。だから不愉快だ」になるんですよ。
この「加えて」と「だから」の違いって相当だと思うし、最低だと思いますよ。
後者は死んだ友達に姿は似ているけど性格が違うから、その言動にイチャモンつけて勝手に不愉快認定しているんですよ。カエルからしたらとんだとばっちりじゃないですか。これじゃあカエルじゃなくて友人達が不愉快な存在じゃないですか。原作既読勢からすればとんだ改悪ですわ。
これやられるくらいなら後半30分はいきものがかりのレコーディング風景でも流してた方が幾分かマシだったろ。なんか新曲流れてたし。
長くなりましたが、とにかく後半パートが不愉快なんですよ。どう考察しても、最後は「不愉快」に至る。見終わった後、本当に最悪でした。
・後輩5人にこの映画を奢ったこと
「面白かったら金返してくれ」と後輩に約束を取り付けて10000円出したら1円も返ってきませんでした。ふざけんなよ。
以上が感想です。
結論から言うとオススメはしません。これ見る時間があるならアマプラにある劇場版すみっコぐらしを見た方が絶対有意義です。